キャバキャバキャバ! 森安なおや氏のクズっぷりにリスペクトであります。炎天下にロングライドする気力を削がれ、近場ポタリングで手を打とうとルートを思案してたところ、藤子不二雄Ⓐの名著「まんが道」でお馴染みのトキワ荘が復活から1周年を迎えたと知りました。
このトキワ荘マンガミュージアムが建つ椎名町界隈は現在、昭和のマンガ巨匠たちをテーマに町興しを進めてるそうです。ならば「まんが道」の聖地を巡礼するポタリングに興じてみようか。短距離ライドで体に負荷を与えることを狙い、久しぶりに BRUNO SKIPPER ブルホーン10s 出動であります。
朝9:00に秋葉原駅の電気街口ロータリーを出発。中央通りを北上して御徒町へ向かい、上野広小路から春日通りを西走して茗荷谷方面へ向かいます。小さなアップダウンを繰り返しながら進み、大塚一丁目交差点を左折。そして、お茶の水女子大の脇道を走り抜けた先は……。
音羽通りに面して建つ講談社。今回のポタリング的には、手前の旧社屋が見所ですね。もちろん「まんが道」作中にも頻出し、足塚茂道(満賀道雄と才野茂)は同社の「ぼくら」「少女クラブ」「幼年クラブ」「なかよし」などで連載。彼らの原稿落としで最大の被害を被った出版社です。
そんな講談社を後にして、護国寺から不忍通り〜目白通りを西走。高田一丁目交差点から細い鬼子母神表参道を北上し、趣のある一角へやってきました。なおもパヴェ(石畳)の参道を進み、レトロモダンなカフェの脇にある路地裏へ足を踏み入れます。
路地の突き当りに建つこのアパートこそ、神こと手塚治虫先生が仕事部屋にしてた並木ハウス。講談社から約1.8kmという至近距離で、同社の仕事が多い時期だったことが伺えます。ちなみに、手塚先生がここへ転居したことで空いたトキワ荘の14号室に、足塚茂道の2人が入居するのでした。
並木ハウスに寄った後は再び目白通りを西進。やがて交差する山手通りから3つめの信号を右折し、スクールゾーンに指定された細道を進むと、マンガ巨匠たちが暮らしてた椎名町(現在の南長崎3丁目)に差し掛かります。ここまで秋葉原から約10km、40分といったところ。
そんな細道の東側に、往年の姿を再現したトキワ荘マンガミュージアムが建ってます。当時の写真や文献を基に、トキワ荘を建物だけでなく植栽や外構まで再現したそうで、世間から求められる “昭和30年代らしさ” がぷんぷん漂ってます。やるなあ豊島区。
トキワ荘マンガミュージアムの2階は、築後10年ほどが経ったトキワ荘を再現してるそうです。階段を昇った先の廊下に沿って全9室の四畳半一間と共同炊事場に共同便所。saruveraが大学生だった1990年代はまだ、こういうアパートが何軒か残ってたなあ。
共同炊事場は生活感まで色濃く再現。宝焼酎やジュースの空きビンに加え、スープだけ残った松葉のラーメンどんぶりまであります。奥の流し台はかなり幅狭で、石森章太郎氏と赤塚不二夫氏はよく行水できたなと感心。尻がハマって抜けなくなりそうなサイズなんだもの。
お待ちかね、森保なおや氏が居候してた20号室(本来の住人は鈴木伸一氏)です。テレビやステレオと火鉢が同居してる部屋は、後年のよこたとくお氏時代。ああ、キャバキャバが転がり込んでた当時の部屋を見てみたいものです。きっとカオスな部屋だったのだろうなあ。
石森章太郎氏が仕事部屋にしてた18号室は、最後の住人・山内ジョージ氏(石森氏のアシスタントとして入居)の部屋を再現してありました。言われてみれば、確かにアシスタント部屋っぽい仕事然とした雰囲気が漂ってますね。こういう座卓、昔あったなあ。
さらに生活感のない部屋が、水野英子氏が借りてた19号室。仕事机の他はトランクケースのみ。なぜに?と思ったら、18歳の時にトランクケース1つで上京してきた様子を再現してるらしい。かなりロックな生き様の人ならではの割り切りが現れた部屋ですな。
マンガミュージアムを出た後は、商店街を進んでトキワ荘の跡地へ。街のあちこちに、往年の名残りを案内するレトロな看板が掲げられてます。なお、トキワ荘の跡地は石碑が建ってるだけ。それより、この看板の手前に現存する中華料理屋の松葉のほうが目玉ですかね、いろいろな意味で。
商店街をもう少し進んで、マンガミュージアムの職員さんが薦めるトキワ荘通りお休み処へ。2階にはトキワ荘のリーダー格・テラさんの部屋が再現されてます。ここの職員さんがおもしろい方で、テラさんの部屋の写真はWeb掲載NGという注意事項すら笑って聞けちゃう人柄がステキ。
そんなトキワ荘通りお休み処で、テラさん考案のチューダー(焼酎のサイダー割り)を模したキャンディを購入。素朴な爽やかさのラムネ味でンマーイ! 背面ポケットに忍ばせられるサイズで1袋100円と、ポタリングに適したお土産になりますね。これ気に入りました。
こうやって散策するうちに、時刻は松葉が開店する11:00を迎えました。椎名町に来たからには、松葉のラーメンを食べないとね。カロリーの収支計算を放り出し、いざ黄色い屋根の中華料理屋へ。満賀氏がンマーイ!と絶賛する昔ながらのラーメンを期待しつつ、次回の[後編]へ続きます。

墓前に供える花束は、小振りとはいえジャージの背面ポケットには収まらないサイズ。どうやって運ぼうかと思案した末、
キヨシローの墓所があるB区7-2は高尾霊園のやや奥まった場所、この急勾配の上にあります。ペダルを踏む脚が一瞬でも止まったら落車必至。激坂すぎて泣く余裕なし。脳内に
11:20頃に高尾霊園を後にし、高尾駅の東側から
そして11:50頃、米軍基地の手前にある
ともあれ、空腹を満たして相模原立川線(都道503号)から
そのまま
が、サイクリングロードが
ということで世田谷通りを東進し、
そして14:50頃、
さて、ゴールの日本武道館へ向かって早稲田通りを東進する道すがら、
走行を再開した直後、とうとう
スタート地点に定めた渋谷は、朝方とあって人影まばら。前夜に降った雨の痕跡をかき消すような青空が広がり、爽やかな空気が漂ってます。雨あがりの青空ならぬ
センター街に入って最初の交差点を右折し、
しばし井の頭通りを進んだ後、甲州街道で西走して
そして8:00頃、サイケデリックな
さて、東八道路を西端まで進んだ後は、新府中街道を北上しながら国分寺崖線を登坂。
これまたキヨシローが1973年頃に住んでた
そんな70年代に思いを馳せながら、国立駅前を経由して
錦一丁目交差点から立川通りを南下し、
なぜなら、多摩川と浅川の合流点の近くにキヨシローの母校・
そのまま日野高校前から浅川の左岸を遡上し、八王子まで西走します。浅川の両岸に広がる風景は、都心から40km程度とは思えないほど旅情あふれる長閑さ。栗原清志少年が現れそうな、遺作
やはりノスタルジックな姿形の
インナーローでセコセコと低速走行を続け、10:20頃に高尾駅南口へ到達。

5:40頃に鳥越神社をスタートし、兜神社〜将門塚〜神田明神〜筑土八幡神社を経て、神楽坂を抜けた辺りで1時間が経過(
やがて道の左手に、緑の濃い一角が現れます。信号機の標識は水稲荷神社前。もしかして、この階段を上らないとならないのか!? しばし逡巡した後、相棒 GIOS FELUCA のトップチューブへ右肩をあてがうのでありました。ネックカバーで口元を覆った状態で、自転車を担いで階段を上る苦行
酸欠でクラクラしながら、
そんな北斗七星も残すところ1社。新目白通りを西走し、
平将門の鎧が埋められているという
鎧神社を背に大久保通りへ出て、北新宿一丁目から小滝橋通りを南下。次いで
その後は明治通りへ出て南下し、次いで首都高新宿線に沿って千駄ヶ谷方面へ。様々なケチを呼び込む負のレガシー・
そのまま飯倉山の坂を越え、
増上寺の北から日比谷通りを北上し、新橋駅の西口方面へ。いかにも新橋っぽい飲食店が軒を連ねる
でもね、ちゃんとありましたよ
強引に「鬼滅の刃」っぽい話へ引き戻したところで、今回のポタリングは最終局面。再び日比谷通りに出ると、交通量が少ないことを幸いに
加門七海の著書「
予定より少し寝坊した土曜日の朝、急いで身支度をして5:30過ぎに出発。まずは我家の至近にある
江戸通り〜清杉通り〜清洲橋通りで南下し、浜町中ノ橋を右折して新大橋通りを西走。
首都高が集中する江戸橋JCTの真下に、ひっそり佇む
兜神社を後にしたsaruveraは、昭和通りを経由して永代通りに出て、朝焼けに照らされた大手町のオフィスビル群を西走します。突き当りのお堀端まで進み、大手門を右折して内堀通りを北上。1つ目の信号を右折すると、100mほどで将門塚に辿り着きます
次は将門塚のすぐ東にある日比谷通りへ出て北上。そのまま接続する本郷通りを進み、本郷台地(武蔵野台地)へ駆け上がる
ゼエハア言いながら
さて、神田明神から坂を下って蔵前橋通りに出た後は、壱岐坂通り〜牛込小石川線で西へ向かいます。まだ無人の
ちょっと奥まった場所に石段があり、その端に石柱。まさしく
大久保通りに復帰した後は、
何はともあれ、江ノ島を背景に愛車GIOS FELUCAをカメラに収めるとしますか。やや日が陰ってきた気がするけど、気温は29℃となかなかの暑さ。サーファーが大挙するのも納得の陽気です。saruveraは保温性の高いベースレイヤーを着てたため、早くも汗塩ジャリジャリ
協議の結果、今日の湘南ポタリングは茅ヶ崎のサザンビーチで折り返すことに決定。江ノ島から西側の国道134号は、幅員が広くて快適。ここまでの渋滞のうっぷんを晴らすかのように、平均速度を上げて西走します。湘南ベルマーレジャージの人にブチ抜かれたけど
サザンビーチまでもう少しという茅ヶ崎公園手前で、一行は唐突に右折して茅ヶ崎駅方面へ北上。その行先は、GIOS乗りの聖地(?)
さて、主なきエイドステーションを後にした一行は、再び国道134号へ出てちょろっと西走。折り返し地点の
帰路は国道134号を東進して江ノ島まで戻り、片瀬東浜交差点を左折して
江ノ電に沿って商店街を抜けて国道134号を鎌倉方面へ。♪君のせい 君のせい 君のせいで私〜 なんて
が、すんなりコトは運ばないのが我らの宿命。材木座から
そんな苦行の後にはご褒美もあるわけで、逗子海岸駐車場の手前で待っててくれたSADAさん&まりぽさんと、同駐車場内に建つ
キター! どうですか “まるわ定食” のド迫力。ぶ厚い刺身二点、これまた肉厚なアジフライ、サバとカジキの煮付け、しらすおろし、小アジ南蛮漬け、お新香、アラ汁、ごはん大盛り無料……。このボリュームと味で1500円はかなりの高コスパ。一番人気メニューというのも納得です