地図を眺めてると、たまに “直線が延々と続く細道” が目に入ってきませんか? その正体「水道道路」は主に戦前の水道管埋設時に作られた道で、自転車と相性がよかったりします。そこで3月初旬、西新宿を起点にした水道道路の「角筈水道道路」をポタリングしてみました。
7:30過ぎに浅草橋の我家を出発し、青梅街道を西走して新宿エルタワーへ到着。ここは角筈水道道路の礎になった玉川上水新水路の終点・淀橋浄水場の正門があった場所だそうで、そのことを記した石碑が駐車場脇にひっそりと建ってました
続いて訪れたのは、新宿住友ビル(三角ビル)。敷地内に淀橋浄水場で使用されてた蝶型水弁が展示されてるそうだけど、大規模な改修工事中のため見学はかなわず。水弁が撤去されないことを祈りつつ、次のスポットを目指して都庁前を走り抜けます
といっても、都庁のすぐ裏手にある新宿中央公園なんですけどね。ここにある六角堂こそ淀橋浄水場の遺構で、往時は浄水場を眺めながら説明を受けたり休憩したりする場だったそうです。公園南側にそびえるパークハイアット東京とのコントラストが、ちょっとおもしろい
などと遺構を巡ってるうちに9:00になっちゃいました。そろそろ水道道路を水源に向かって遡上しますかな。新宿中央公園の南西にある起点・角筈区民センター交差点へ移動し、角筈水道道路(都道431号角筈和泉町線)の西走を開始
走り出した直後に交差する山手通りを越えると、いかにも水道道路らしい直線的な風景が姿を現します。片側一車線とはいえ道幅が広いので、なかなかの交通量。バスやトラックの往来も多く、甲州街道の裏道的な存在でありますな
幡ヶ谷あたりになると、かつての面影が濃くなってきます。その代表格が、本村隧道などのトンネル。角筈水道道路は玉川上水新水路を通す土手の上に敷設されてるので、いまも土手の南北を往来するためのトンネルが残ってます。ドーリア式の円柱が、いかにも大正時代の建築物らしい
水路を横切る交通手段には橋もあり、淀橋浄水場に近いほうから順に、一号橋、二号橋、三号橋……と呼ばれてたそうです。すると六号通商店街は、かつて六号橋が架けられてた通りだったんだな。しばしば利用してた15年前に抱いた名称への疑問が、こんな形で解けるとは思わなんだ
幡ヶ谷から笹塚にかけての水道道路南側は、やたら都営団地が連続してます。淀橋浄水場の廃止と符合する昭和40年代前半に建てられた団地が多いので、角筈水道道路の敷設と一環した公共事業だったのかな。高度成長期の熱気が消えて久しいセピア色の街並みであります
角筈水道道路は環七と交わる泉南交差点で終わりかと思いきや、その先も一方通行の路地になって延びてました。メトロン星人が暮らしてそうな路地をそろそろと進んでくと、リトル沖縄な商店街があったり、水路上が小さな公園になってたり。なかなかにディープですぞ
そんな路地を抜けた先は、これまた水道道路の井ノ頭通り。南側には和泉水圧調整所の大きな貯水タンクが見えます。かつて和泉給水所があった地で、玉川上水が淀橋浄水場へ向かう新水路と、四谷大木戸へ向かう旧水路に分岐してたそうです。ということは、ここが角筈水道道路の終端か
和泉水圧調整所の筋向かいを見ると、水路上に作られたっぽい公園がありました。この地まで注いでた玉川上水の流路跡に違いない。まだ新宿から約5.2kmしか走ってないし、時刻も9:30と余裕たっぷり。そうとなれば、公園の左岸(?)にある側道を使って、玉川上水の跡を遡上してみますか
公園の途中で、側道は京王井の頭線をオーバーパス。この高架橋の脇を太い水道管が並走してました。看板に書いてある文字は、玉川上水路敷。やっぱり玉川上水路の流路跡で間違いなかったんだ。ホクホク顔で進むと、側道は明治大学の東側で甲州街道へ合流
甲州街道の暗渠となった玉川上水の流路は、首都高新宿線・永福PAの裏手から再び公園へ。左岸の側道を走ってると、玉川上水土手と住宅の高低差がよくわかります。土手を築いて高度を稼ぎ、江戸市中まで水が流れるようにしてたんだなあ
そんなことを考えながら走ってると、下高井戸3丁目でやたら直線的な道路と交差。この道は、一昨年に走った荒玉水道道路じゃないか。かつての帝都東京を支えた水路と水路の交差点に出会えるのは、水道道路ポタリングならではの楽しみですね
やがて玉川上水の流路は、甲州街道と首都高新宿線が離合する上北沢駅入口第二交差点から都道14号・放射第5号線と一体化。そして久我山の手前にある浅間橋で、ついに水が流れる開渠になりました。ここから上流は、玉川上水に沿って整備が進む放射第5号線の真新しい路面を走るぞ!
なんぞと意気込んでペダルを回すものの、1.5kmほど上流の旧牟礼橋(どんどん橋)で未舗装路に突入。前日までの雨でぬかるんだダートはタイヤが滑ること! 玉川上水緑道なんて名付けられてるけど、ほぼケモノミチじゃねえか。悪態をつきながら三鷹市と武蔵野市の境を流れる水路の左岸を前進
結局、ケモノミチは3kmほど続き、井の頭公園の西端にある萬助橋で舗装路に復帰。徒労感がすごいんですけど。ともあれ右岸(風の散歩道)を前進すると、JR三鷹駅が見えてきました。ということは、太宰治の入水地も近いはず。目印を探してキョロキョロしながら[後編]へ続きます。
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